代表取締役:白崎 慶太様の経歴紹介
1961年、大阪生まれの奈良育ち。上智大学機械工学部に入学し、東京暮らしを経験。1985年に三菱レイヨン(現三菱ケミカル)に入社。入社後は、工場設計部門に所属し、バブル時は大きな予算と人を使い、工場の新設ラッシュに10年間従業。
ところが、バブル経済が崩壊し、新規工場建設プロジェクトが頓挫、所属事業部門のリストラにより、米国のフィルム製造会社へ出向。2年後帰国し、米国デュポン社との合弁会社に出向、製造管理部門に退職時まで所属した。
サンホワイト太陽炭株式会社は、先代社長が1980年代に海外で製炭事業からスタートし、1993年には同輸入・卸売・直売を開始、現在も飲食店などを客先として同事業を継続する。2001年、当社を経営していた先代社長が65歳になり引退を決意したため、39歳で会社を引き継いだ。
アメリカで会社経営の経験はあったが、あくまでもサラリーマン、経営者としての経験はゼロ。引継ぎ早々、国内では「狂牛病」や「O157」の問題が主要客先である飲食店を襲い、海外ではインドネシアでの合弁会社の閉鎖からスタートしたが、その後アジア全域で仕入先を探索する。
2003年より事業多角化を求め、楽天で通販事業に進出し、幅広い商品の輸出入・卸小売を展開しているが、母体は最小限とし、製造・輸出入・物流はアウトソーシング。長引くデフレ経済から、社内の営業チームもスリム化・多能工化を進め、2014年から営業員の外国人化を進めている。
現行のアジアからの輸入業務と外国人雇用事業者の知見から、昨年4月に法制化された「特定技能」制度による外国人労働者の紹介、支援の認証を得て、2019年11月から、外国人労働者に特化した人材紹介業を始めた。
会社の事業について教えてください
白崎:サンホワイト太陽炭株式会社は、海外との貿易をやっていまして、その中で一番大きいのが木炭です。木炭は焼肉屋さん、焼き鳥屋さんなどの飲食店で使っていただいています。
1985年に現地の起業家とインドネシアの工場を始めました。当時はバブルエコノミーで多額の資金を貸してもらい、その多くをインドネシアの4つの工場の建築に使いました。工場でできた炭を輸入する仕事になります。
1990年から炭を工場で作って、末端の消費者である飲食店までお届けするCtoCビジネスを立ち上げました。そこに、神風が吹きます。炭火焼肉ブームがきて炭を使ってお肉を焼くと美味しいという文化にちょうど火がつきました。
加えて、フランチャイズビジネスの方法が根付いたのも90年代です。オーナーは自分の建物だけあればノウハウはフランチャイズから貰えるという形で、炭火焼肉というのがものすごく広がりました。我々は、たまたま工場を作ったのですけど、それが炭火焼肉ブームにうまく乗って、会社としては非常に売り上げが伸びるという商売をしたんです。
しかし、2001年に転機があって狂牛病が流行して、牛肉のマーケットが冷え切りました。それまでは破竹の勢いで伸ばしてたのですけども、いわゆる需要が大きかったですね。焼肉屋さんが争って会社の炭を買ってくれてました。
しかし、一旦を需要と供給のバランスが崩れると、値段も安くなったり、売れるものも売れなくなったりしました。工場にも従業員がいるので売れないと大変です。
2001年に私が会社を引き継ぎました。私が社長に就任してから様々な物を輸出したり、色々なことをやってきましたので、アジアに多くのネットワークができました。
実際に我々は輸入や輸出でお客さんと会いますけども、アジアでは輸出の国際展示会がどこでもやっていました。これは外国人に物を買ってもらいたい国がサポートしているものです。
国際展示会でもアジアで色々な人と話す内に、良い人材がアジアにいるなということを感じました。アジアの人に日本で働いてみませんかと、声を掛けると、喜んで日本で働きたいと言われる出会いがありました。弊社は貿易業務を英語でするので、2013年に外国人の雇用を始めました。これが、人材関係の仕事を始めたきっかけです。
そして、2019年4月に特定技能が始まり、労働が許可され、特定技能の試験に合格した人について日本で仕事を探すというのをやってます。
代表取締役:白崎様が仕事で良かったエピソードについて教えてください
顧客満足が直接得られる
白崎:海外で起業したり、製造する会社へ投資や指導を行い、雇用を創出、国内ではお客様へ直接販売する、いわゆるBtoCビジネスを実現でき、双方の顧客満足が直接得られることに、大変幸せを感じています。今の外国人人材の国内事業者様への紹介も、その延長線上にあります。
代表取締役:白崎様が仕事で苦労したエピソードについて教えてください
介護人材業界に新規参入する苦労
白崎:今まで黒字を出して会社を続けてるって言うのが1番の喜びですが、苦労だらけですね。まず畑が違うということで、今までの炭の仕事では飲食店にすぐに入って飛び込み営業ができるんですよ。しかし、外国人労働者の人材紹介の仕事では介護施設に入っても来客に対応できる人もいない感じです。奈良県は年寄りが多く介護施設がものすごくあるため、介護に絞って営業をしていますが、なかなか話ができずに困ってます。
興味はあるみたいですが、まだ外国人に対しては、ハードルが高いようです。特定技能の方を初めて採用いただいたお客さんのところでは、もう既に日本に住んでるフィリピンの人が働いていました。
既に雇われた経験がある会社さんにはすごく営業がしやすいです。外国人と働く良さを分かってるから、逆にもっと採用したいという状態です。ところが雇われた経験がない会社さんは、ハードルが高くて話も聞いてもらえずに困ってます。
介護では2025年問題があります。いわゆる団塊の世代が介護施設にお世話になる時代です。働く人は年々減って、特に介護業界は今のコロナで失業者が多くいる中でも誰も来てくれなかったり、来ても一週間で辞めてしまうとの声も聞きます。需要があるのは分かってるので、そんな介護事業者に私がオファーして話しを聞いてくれるように、その壁をどうやって取り除くかが大きな課題でしょうね。
会社の新型コロナウィルス感染症の影響(2021年4月)について教えてください
白崎:主要業の飲食店向け木炭については、影響が非常に大きいです。今の一番のメインの商材の炭は、焼肉レストランの取引が半分以下です。一方で通販が伸びてくれましたので、売り上げは上がっていますが、利益としてはほぼトントンぐらいにはなってますね。倍ぐらいに通販が売れてたので、会社の経営に対しては特に影響がないです。
今後の「after/withコロナ」をキーワードとしたビジネス展開を考慮して、飲食店向け木炭の販売の立ち直りには更なる時間を要するため、会社の現有事業から、「外国人労働者の育成」、特に特定技能介護の人材育成に注力することで経営を維持したいですね。
会社での成功事例について教えてください
炭の通販事業での成功
白崎:大げさかも知れませんが、24期の決算を終え、この4月から経営者として21年目を迎えられたことが、何よりも大成功です。
通販なんかは大成功でしょうね。2003年に立ち上げて、当時は炭なんか売ってる通販ショップが無かったので、多くの人が炭を買ってくれていました。楽天は1997年から通販事業をスタートして、5年目の2003年には弊社も加入したので通販は成功しましたね。
最初はやっぱりなかなか売り上げは伸びなかったですけれども徐々に増えていって、yahoo、amazonの出店で通販はより成功しました。インターネットビジネスは早すぎても遅すぎても良くないですね。
会社での失敗事例について教えてください
輸入貿易での失敗
白崎:失敗は数知れず、やはりコンテナ単位の輸入で、商品が売り物にならない、といった事も少なからずあります。そんなトラブルシューティング、火消しに走るのも、中小企業の経営者の宿命ですね。
特に騙されてお金を盗まれたとか、海外で仕事しているとやっぱり売る方、買う方は騙し合いなんです。それがいいものであれば成功だけれども、例えばいいもの出しても、お客さんに満足していただけなければ、これは詐欺なんです。
一般的な貿易では、半分お金を払ってそれで輸出してもらいます。輸出した荷物が船に乗った時点で証明書を貰えるのですけど、そこで残り半額払う方法でビジネスをスタートしますね。海外との貿易は、半額払ってどっかに逃げていかれるのはよくあります。それから、お金を払って買った物が全部不良品だったとか、そういうことも多々ありました。
会社のアピールポイントについて教えてください
フィリピンからの労働者に特化
白崎:人材事業に関しましては、フィリピンからの労働者に特化しています。その理由は、日本と同様、現地の労働法規が、求職者からの費用徴収を厳しく禁止していることで、他国の制度とは大きく異なります。また、英語が堪能であることや、国民性も、雇用される日本企業にメリットが大きいと判断しました。
弊社内にはフィリピン人が常駐しており、また全社員が英語に堪能なので、誰でもフィリピン人とのコミュニケーションが出来ます。海外フィリピン人労働者 (OFW)へのルールも厳しく、彼らを雇用する国内企業に必要なフィリピン海外雇用庁(POEA)への求人票の作成認可についても、多数の実績があります。フィリピンで、昨年7月から、Zoomを通じた、無料の日本語教室も開催しております。
また、フェイスブックでは、2つのグループを運営しており、総メンバーは6万人になります。ほとんどの皆さんが、この日本で就業を希望する海外の若者です。
英語でのアフターケアを実施
白崎:会社では全員英語が喋れるのが強みで、フィリピン人については全員がコミュニケーションをとれます。そのため、来日してからの心のケアが必要だと分かり、仕事の時間以外の部分で楽しんでもらってます。サポート体制がうまく機能してるという感じがします。
介護の仕事は精神的にも肉体的にも大変ですので、家と会社の往復ではいくら仕事に対する熱意が溢れる人でも滅入りますね。そこはうまく気分転換を図ってあげる必要があります。日本に来てくれた外国人のアフターケアをしてますので、心の病にはならずに、リフレッシュして仕事ができてると思います。
会社の将来のビジョンについて教えてください
新社名「ジョブ ブリッジ」に込めた想い
白崎:企業理念は、「新興国の更なる発展に、永続的に寄与する」ことです。これは、「アジアに最も近い先進国として、アジアの人たちのよりよい生活を実現する一助になりたい」との想いです。
現社名が人材紹介業にそぐわないので、新規に、「ジョブ ブリッジ」(商標登録中)と、誰でも自分の足で歩いて日本へ来られる橋をイメージしたブランド名を付けました。
「ジョブ ブリッジ」という名前をこの事業につけたのは、仕事の架け橋だけれども国と日本の間に橋をかけて、誰でも行ったり来たり渡りやすくなる、そういう世の中を実現したいという想いからです。次の世代の人たちがビジネスを継続できるような橋をかけることを、ライフワークにしていきたいと思ってます。会社も橋ができれば自動的に続いていきますので、私の事業を次の人に渡すということも含めています。
日本人口は2050年まで減り続けるわけですから、政府は様々な方策を取ってるけれども、外国人の若い力を借りるというのは日本にとってなくてはならないことなので、絶対必要なことのために私はある程度のインフラのベースを作りたいと思っています。
一方、今年で60歳になるため、事業の後継者を育てることも大きなテーマです。国際感覚を持つ事業者としてブリッジの土台を作るところまで目指すつもりです。
まとめ
特定技能の登録支援機関「サンホワイト太陽炭株式会社」の代表取締役:白崎 慶太様は、外国人労働者に対して真摯に対応されており優良な会社だとインタビューを通して感じました。
これから介護施設の人材採用について検討されている場合は、「サンホワイト太陽炭株式会社」に相談してみましょう。